学力試験・最下位の波紋
全国学力試験で国語Aの成績が静岡県が全国最下位だった「事件」。
静岡県の知事は学力試験の「成績が悪い学校の校長名を発表する」と
息巻いていたが実施要項に反すると言う事で困ってしまった。
結局「成績が平均以上の学校の校長名を発表」と言う形で決着し発表した。
新聞では校長名から学校を割出し、掲載した。
富士宮市では成績の良い学校として3校名前が挙がったがそれが
いずれも「僻地」の小規模校。
僻地がない隣の富士市は該当校なし、と言う有様。
ほかの地区は分からないがどうやら小規模校の方が丁寧な教育が
行われているようだ。目が届きやすいのだろう。
今は30人学級で以前とはかなり少人数の教育が行われている。
我々の頃は50人もいた。減っても45人だった。
それに比べれば恵まれていると言える。
ただ、モンスターペアレントとか不登校とかの問題を抱え授業以外の面で
大変になっていると思われる。
授業どころではないのかもしれない。
それにしても「最下位」とはねえ。
学者の知事の「怒り心頭」も分からなくはない。
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コメント
>静岡県知事川勝平太 またの名を嘘つき平太・・・この度は、全国学力テストで小6が最下位だったことから事は始まったようですね。
>下位100校の校長名を公表すると唐突に表明したからさ~大変!
>学校名を公表しないが文科省のルール、校長名とは記載されていないからこれはOKだとする県知事。
>これに対し文科省では校長名イコール学校名との認識を示し県教委はこれを順守すべきだとの見解。
>今回の件で、嘘つき平太に屁理屈平太がプラスされた。
学校長は、学校教育に責任のない人なのか。ただ、他の教員よりも金を多く貰っているだけなのか。
その責任者であるならば、問題があれば、名前を明らかにされても仕方がない。
問題の解決には、何よりも責任者の自覚が必要である。
意思のあるところに責任はある。
意思のないところには、責任がない。
責任者は、責任を持って問題の解決を図ることを期待されている。
無意思の責任者には、問題を解決する力はない。
死刑執行人は、殺人罪に問われない。
彼らは、殺意がないからである。彼らは ‘頼まれ仕事’ をしているのである。学校長の仕事もそのような ‘頼まれ仕事’ なのであろうか。
日本人には、意思がない。
意思は未来時制の文章内容で、日本語には時制がない。
だから、日本人には、意思がない。
非現実 (過去時制と未来時制) の文章内容が表現できなければ、際立った個人差は出ない。どんぐりの背比べというか、犬と犬の違いに終始する。
個人主義を理解することも難しい。
我が国がひっくり返った時にも、国の政治責任者は出なかった。
「責任者を出すな。犠牲者を出すな」と言う声が上がった。
意思のない人が責任を追及されることがあれば、彼はまさしく犠牲者であろう。動物愛護の精神が必要。
学校長も、そのようなものか。とかく、この世は無責任。
心のある人とは、どのような人か。
自分の感情を表現する人か。ならば、歌詠みの人か。
自分の意思を表現する人か。ならば、行動の人か。
日本人には、意思がない。だから、自分の意思を示さない。
我が国は、世界の中にあって、世界に属さず。
日本人は、無為無策で高踏的*なのか。
我々は自分自身の意思を示す準備をして、来るべき国際化社会に備えなくてはならない。
*高踏的 (自分ひとり高いとしているようす。おたかくとまるようす。)
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/
投稿: noga | 2013年9月23日 (月) 11時15分