東京オリンピック
1964年の東京オリンピックの時は就職して2年目(23歳)。
夜間定時性高校の新米教員。初任給は18300円。
生徒みんなと視聴覚教室で「女子バレー」の決勝を見た。
「金メダルポイント!」とアナウンサーが何度も絶叫していた。
あれから50年。
7年後は生きているかどうか分からないが多分見られるだろう。
あの当時は戦後の復興が一通り出来、さらに伸びようとする時だった。
東名高速が走り、新幹線が動き出した。
まさに日が昇る勢いだった。
今とは随分状況は違うがこれを機に東京のインフラの整備が進むだろう。
「首都移転」と騒いでいたのはどうなったのだろう。
今度の招致活動で一番印象的なのは「東京オリンピック・パラリンピック」
と言う言葉。
今迄余り「パラリンピック」という言葉はなかったように思う。
確かにオリンピックには何時からか知らないがパラリンピックがつきもので
「付属的」に行われている感じだったがそれをオリンピックと同列に扱おうと
言う事が「意識的」に表現されている。
パラリンピックでは日本の活躍が著しい。
それだけ世界の中で身障者に手厚い施策が行われている結果だと思う。
当事者は「まだ不十分」だろうが道路の「点字ブロック」の充実ぶりは凄い。
道路にあるものはそうではないがスーパーなどでの出入り口にあるものは
邪魔でしかない。カートの移動でみんな苦労している。
必要なら係りの人を呼ぶシステムの方がよほどましだと思う。
(こんなことを言ったら叱られるのかな)
身障者も健常者も同じように生活できるためには健常者の手助けが絶対に
必要。それが自然にできる事が大切なんだと思う。
あと7年か。
それまでの間地震も起こらず無事実施できることを祈るのみ。
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