兄の49日法要
真冬から初夏に一足飛びに陽気が変わる。
そう言えば真夏から冬に飛び「秋」がなかった。
この調子では「春」もないのだろうか。
秋とか春とか過ごしやすい時が少なく暑い寒いかの陽気では日本の季節は
どうなってしまうのだろう。
初夏を思わせる天気の中で兄の49日の法要があった。
家族は表向きは屈託がなく対応していたが内心では寂しさが増しているよう
だった。
今までいた人が忽然と居なくなり灰になる。
そうなればそのような生活が生まれ年月が経てば居ないのが自然になる。
慣れれば何ともないことなのだ。
人の一生なんてこんなもんだ。
どんなに優れた人でも永久に活躍するわけではなくいなくなればいなくなった
で何とかなるものだ。
こういう呑気な生活をしていて毎月年金を使い果たしそれだけの経済活動
しかせず医療費をはじめ多くの公費を使っている。
なんだか申し訳ないがかといって自殺は考えていない。
寿命が来るまで生きるのだろうがどんなことになるのだろう。
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