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2012年12月18日 (火)

兄宅へ

兄宅へ午後到着。家へ入るとまず「マスク」をする。

22日間の入院で全く食欲がなく点滴で栄養補給をしていたと聞いていたが
すっかりスリムになっていたが顔色は悪くはなかった。
ウチに帰って食欲が戻った、と言っていた。

何時ものように「やあ、久し振り。元気なようだな」とのお出迎え。
待っていたように医者の「所見書」を見せてくれた。
医者としては色々治療をしたいのだろうが本人がそれを望まないならやむを
得ないと言うような「弁明書」みたいなものだった。
言ってみれば「死の宣告書」でそれまで好きなように過ごしなさい。
私は知りませんよと言う感じに受け取れた。

浜松SAで買ってきた「フルーツパン」を美味しそうに食べてくれた。

どんな話をしたかはよく覚えていない。とりとめのない話をしたのだと思う。
まだ掛かってないがんセンターでの検査を勧めたのは覚えている。
知り合いもいるとのことで話は付きやすいと思う。

こういう状態になると占いとか先祖の供養がどうのという怪しげな宗教が
入り込んでくるので注意しなさいよと言っては見たが藁にも縋りたい者に
とって宗教はある意味救いになるかもしれない。
変にお金をせびるものでなければ心の平安が得られるかもしれない。
キリスト教関係のホスピスはここの点をきちんと押さえている。

兎に角兄は何事も理論整然としていて隙がない。
この件も大方の調査は既に済んでいて自分の境遇を受け入れられる
境地に達しているようだった。この短い期間でのこの対応は凄い。
自分だったら到底できないことだと思った。

外へも出られないのなら「ブログ」でもやって闘病記を書いたらどうか、と
勧めてみたがパソコンは好きではないらしい。
この年代は概してそうで抵抗はあるようだ。

2時間ほど居てあまり長居をすると疲れるだろうと思い帰ることに。
帰り際に初めて「握手」をした。しっかり目を見つめ強く握った。
予定していた「また来月に来るからそれまで生きていろよ」は言えた。
妙に心が落ち着いていて平静だったのは不思議だ。
がんセンターでの診断に期待があったせいかもしれない。

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