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2012年12月19日 (水)

その後

別れた後奥さんと落ちあい外で食事をしていた時電話が入った。

「がんセンターの知り合いに聞いてみたが結論は同じとのことだった」

陶生病院と国立病院での診断は同じだったががんセンターでの診断は
受けていなかったので勧めてみた結果を知らせてくれた。
がんセンターは国立病院と提携しているので診断が異なることはないと。
がんセンターでの治療は強い抗がん剤での治療で一旦は回復するが長くは
続くものではないとのことで今迄と変わりはなかった。

電話を切った途端、急に涙があふれ店で人目もはばからず泣いてしまった。
奥さんは黙ってハンカチを呉れた。
「泣いたのを見るのは結婚式以来2回目」と。
結婚式では元気になった母の姿が嬉しくてなぜか涙が溢れて止まらなかった。

それ以来の涙だった。40年ぶりか。
私は結構涙もろいが人前でなくことは殆どない。泣く時はこっそり一人で。
まして涙がふさわしくない場で泣くことはない。
この時はそんなことに構っておれず肩を震わせた。

ひょっとしたらもう会えないかもしれない。
今迄会えると言う事が自然であったことが特別なことになった。
5人の親を送り死に対する気持ちは分かっているが兄弟となると違う。
親とは違う身近な存在で事故とか手術を伴う病気でなく今目の前で「元気」
でいる人が生死を彷徨っているとは信じられない。
兎に角理屈ではない何かの感情が湧き出てきてしまった。

これで私も吹っ切れた。
あとは自分ができる事をしてあげよう。
ひょっとしたら誤診であることを期待しながら。

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